2011年01月30日
江戸時代・刑罰の実情( ゜゜;)

義賊の大盗賊 石川五右衛門
アニメ ルパン三世に出てきたり 映画になったり 歌舞伎の演目であったり
この御方 決して空想絵空事中の人物ではありません
安土桃山時代 実際に活躍した大泥棒であります
末路は悲惨な終わり方でありまして 京都の三条河原にて 母親 息子 手下 の方々が釜茹での刑罰に処せられました 木靴を履かせられた状態で大釜に浸かり ゆっくりと ゆでられる 煮え立った頃には釜の中に油を注がれたと云いますから それはそれは想像の域を越えた恐ろしい光景だったと思われます (゜゜;)
鳴々阿鼻叫喚 … (゜ロ゜;
日本の現代社会においては想像絶する刑罰であります
と 云う事で現代社会で生きる私達は昔の刑罰について普段考えた事も殆んど無いに等しいですし 教科書では決して教えない日本古来の刑罰について少し特集を組み語り書き記します
いささか縄文時代からと云う訳にはいきませんので安定した歴史が長く続いた江戸時代を主にスポットをあてたいと思います
【罪人に施す入墨】
入墨は刺青とも書きますが古来からの伝文では 入墨 が本来の云われ方のようです
最近ではファッションの一部にもなり激しい装飾的な方向性へとシフトしています
勿論 皆様も御存知な裏社会の方々の背中で背負いし生身の看板にもなってますし
江戸から昭和初期にかけては 職人 板前 火消し の方々も少なからず入れてました
皆さんに共通する事
それは 生きざま と 威勢 のあらましを体はって彫りものに表したと云う事だと思いますが それは自らが進んで施したのが殆んどです 少なからず強制された方々もいるかと思いますが
昔の罪人の入墨は社会的に全く意味が異なります
罪人としての一生涯消えない烙印を強制的に体に施されてしまうのです
西洋式ならば焼印になります
しかし この入墨刑はかなり軽刑であります
それまでは同罪でも体の一部を残酷にも切断してました
指 耳 腕 足 など処置をすれば命を落とす事はありませんでしたが まぁ 処置のされ方にもよるとは思います
徳川吉宗公が治めた時代 苦痛少なく見せしめになる入墨が刑罰として採用されました
この入墨は基本的に腕に施され その一帯を治める藩によって入墨模様が全部異なりました
二本線 三本線 十字線 等々 腕に入墨するとはいえ その長さも場所も太さも形も異なりました
何故でしょう?
それには理由があります
役人は下手人や疑わしき者を捕らえた時に まず腕を確認します 入墨はないか? あったとしたら何処で施されたのか?
つまりは 前科者か 過去に何処の藩で罪を犯したのか一目瞭然で確認出来るのです
現代の様に パソコン 電話 ファックス 等 情報の共有や伝達が出来なかった事を考えれば彫られた罪人の方々には悪いですが 物凄く画期的な情報の共有が出来たのですから感心の限りです
部位の欠損ならば事故や不慮の出来事だと説明すれば あぁ そうか と納得出来ます 罪人だから斬り落とされたとは証明出来ませんが入墨は歩く目印になります 決して消す事が出来ない罰の目印なのです
酷い藩になると 顔の額に入墨しました それも同じ藩内で三回軽罪を犯せば 一回目 横線 二回目 左へ縦斜め長線 三回目 右縦斜め短線と右斜め上に点
文字で書き記すと最後に 犬 の文字が額に刻まれます
犬ですよ 額に犬!!おでこに犬の入墨文字 (。_。)
残され生きる人生
人様が見る目は容易に想像出来ます
この入墨刑は明治3年には廃刑になりますが 昭和の時代 少年院や鑑別所に入所した方々の中には指に指輪の様に線の入墨をした方々も名残としておりましたし何人か実際に見た事もあります
先に記しましたが現代ではタトゥーを彫る店も普通にある時代に変わりました
同じ入墨でも時代や背景 意味合いが違うと随分違うものだな〜と思います
今回は刑罰としての入墨の御話でしたが また昔の刑罰について引き続き次回も書き記してゆきたいと思います
では m(__)m
Posted by 歌舞伎 at 20:38│Comments(0)