2011年04月06日

華の御江戸の粋と通・これは結構辛いです ( 汗)













「京島原の女郎に江戸吉原の張り持たせ 長崎丸山の衣装着せ 大阪新町の揚屋で遊びたし」

江戸時代の戯作 好色一代男 で当時の男達の願望を この様に記したのは 井原西鶴

吉原の遊女達は金に媚びず 権威に屈せず 自分達の生き方を貫く 張り を持っているのが身上でした

一方 吉原に通う旦那衆が大切にしたのが 粋 過ぎていく時間をゆっくり楽しむ そんな余裕こそが 粋 の本道です

ガツガツと女を抱く 払った金の分だけ取り返そうとするなどは 野暮の極みとして嫌われました

吉原で遊ぶなら 粋 に振る舞う事こそ 通 でした


これを読むと格好良さげに見え聞こえてきますが 実際は大変な見栄の張りでありお金と品格人格と時間がなければ出来ないのが現実でした

何故 こんなブログを書くかと云えば 私が江戸文化について色々と調べ読んでる時に 華の御江戸 で暮らしたならば吉原なんかにゃ とてもではないけど遊びになんか行けないと夕食中 家族に話た処 話が盛り上がって

結論 江戸時代の 粋 イナセ 通の語源は実は見栄の御披露目が始まりだったと云う事になったからです

今では 粋だねー イナセだねー なんて和物の素敵さ格好良さ 素晴らしさ を一般的に表現してますし使ってます

まぁ 現代の若い人達からは残念な事に この単語はほぼ出てきませんし聞いた事もありませんが

少し吉原遊廓遊びについて語りましょう

吉原は幕府公認の300年間も続いた 隔離された遊廓です 花魁 太夫 等ピラミッド形式で築かれた女の縦社会でした

華やかさ陰惨さがおりまじる不思議で鮮やかで綺麗な毒色帯びた夜の世界 官能の殿堂でありました

遊ぶにも段階を踏まなくてはなりません 枕を直ぐに共にする事は 決して金だけで何とかなる世界ではありませんでした

枕を共にするには最低三回は通い お金と時間を振る舞わなくては枕の資格を得られません

徒歩で行くのは野暮

籠屋か一人船頭の船で行くのが 粋で通 な証明

籠屋と船頭にも賃金とは別に小遣いをせびられ

直接 吉原に入るのは野暮な奴と言われます まずは吉原の門柱前付近に出ている出店の茶屋か酒屋で一杯引っ掻けてからが 粋で通 なのです

これでも まだまだ吉原には入れません 中継ぎ の店に入り吉原に入場する前に余所行き用の装いに着替えます これ自前でお金を払って預けておきます 中継ぎの店で吉原への前準備をします 案内状を買ったり 小料理食べたり そしてまた ここでも店員さん達に小遣いをせびられます 出さないと 野暮な奴 になります

いよいよ吉原の門を潜りますが 一回目は御気に入りを探して目配せと唾付けの予約だけ

二回目は店の仲介の元に三人で御目通り面合わせ 会話もありません 時間制限が厳守で短時間の面会だけと決まってます

三回目は まず座敷で芸者衆を上げて 飲めや 歌えや 食えやの酒の席で 小遣いも周りの店員さん達にも振舞い いよいよ その後で枕に招かれます

この三回の作法は身分や金等は関係なく通過する客の儀礼です

いいですか 三回は全て 籠や船で始まり 籠や船で終わるのです

この三回でかかる費用は最低でも 7両から10両 です 一両が一番安い変動貨幣価値で4万5000円 高い貨幣時で8万円です

いいですか 間違えたら駄目ですよ 一両は一万円ではないのですよ

これを コンスタントに御得意様として通い続けて初めて 粋な遊び人 イナセな戯れ人 遊び上手 と周りから云われるのです つまりは 粋な人だね イナセだね 通だねは本来物凄く一般庶民にとっては大変な事なんです

浮き世を流すのも 金だけではなく 時間も 品格も大事だったのです

内心は冷や汗でも見栄張るがこそ 江戸っ子の心意気なんです

今回はまだまだ書き足りませんが また時と皆さんの反応を見て書き足してゆきたいと思います

意気がる いい気になるな は 粋 の いき が元になってる語源だと云われてます

確かに納得出来る感じがしますね

今回は 江戸 吉原 粋 イナセ 通の話でした  


Posted by 歌舞伎 at 22:12Comments(0)